こんにちは!amigurumicheのときです☆
私はおとぎの国に出てくるような、可愛らしい街並みを眺めるのが大好きな子供でした。まるで絵本の中に入ったような感覚を覚えるからです。
テレビに海外の風景が映し出されると、時間を忘れ食い入るようにして見入っていました。そんな私がなぜ、日本を発信しようと思ったのか?少しお話しさせていただきたいと思います♪
はじめて海外で「日本」を感じた日
今までは、日本の小さなお家の中の映像で海外を楽しむ日々を送っておりましたが、1998年、私は、はじめて海外で「日本」を感じることができました。
私は(私たちは)フランスのパリで挙式を上げました。その時訪れたのが、エッフェル塔から少し離れた場所にある「勝山(しょうざん)」という日本料理店でした。パリに行ったんだからフランス料理でしょ?って思われるでしょ?(笑)でも、もう、散々フランス料理漬けになっていた私たちには、ここら辺で「日本食」に触れることはリラックスにも繋がりとても重要でしたwww
ちなみに、なぜこのレストランを選んだのかというと・・・主人が好きな漢字「勝」が名前に入っていたからです(笑)
当時の「勝山」は、一口大の手まりずしや、海鮮サラダなど、日本食のコース料理を提供してくれるレストランで、私たちの他にも現地の方々で席が埋め尽くされていました。フランスでこんなにも日本食を食べにくる人がいることに驚きを隠せませんでした。
私は、この時初めて「海外」から見た「日本」を意識し、感じたような気がします。
これまで「海外」にばかり憧れを抱いてきましたが、私は自分の国のことをあまりにも知らないことにショックを受けました。
中田英寿さんの活動に感銘を受けた
「海外」から見た「日本」を感じたところで、私には何をしたらいいかわかりませんでした。帰国した後は、またこれまで通り「海外」に想いを馳せる日々を送ることになるのですが・・・。
そんなある日、元サッカー選手日本代表の中田英寿さんのドキュメンタリー番組を見た時に、これからやるべきことへのヒントを見つけたような気がしました。
中田英寿さんは、現役を引退した後、日本の素晴らしい文化を広める活動にチカラを入れていました。また、彼は、現役時代からファンに向けての発信は全て自分の言葉で伝える努力をしていました。そのため、極力メディアを使わず、自身のSNSより精力的に発信していたのです。
この事実を知り、私は中田英寿さんをとても身近に感じたのを今でも忘れることができません。
私ができることを探し始める
インターネットが普及した今、私にできることはなんだろう?と考えたとき、今のこのスタイルに辿り着きました。
あみぐるみで日本を魅せる。
私はこの道を追求してみようと考え今に至ります。個人で活動するには、あまりにも大きなテーマなのかもしれません。しかし「ハチドリ」の物語のように「自分ができること」を忘れず、コツコツと発信していきたいと考えています。
ハチドリのひとしずく
森が燃えていました
森の生き物たちは われさきにと 逃げて いきました
でもクリキンディという名のハチドリだけは 行ったり来たり
口ばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは
火の上に落としていきます
動物たちはそれを見て
「そんなことをして いったい何になるんだ」と笑います
クリキンディはこう答えました
「私は、私にできることをしているだけ」
コメント